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本證寺登城日:(2009.02.21) 所在地: 安城市野寺町、本証寺 |
歴史 |
◆本證寺境内地 この寺は、真宗の代表的寺院です。三河三か寺の一つで、鎌倉時代に建ったと伝えています。境内地は23,261メートルあります。 永禄六年(1563)〜永禄七年(1564)の三河一向一揆のとき、徳川家康と戦い、小川の戦いで敗れ、一時、取り壊されましたが、20年後に再興されました。 山門前から本堂を取り囲むように内濠がめぐらされており、外濠も一部残っています。このような境内のつくりを城郭伽藍といいます。他にも城郭伽藍の例はありますが、これほどよく保存されているものは、全国的にもめずらしいものです。 ◆本證寺本堂 本證寺は、三河三か寺の一つとして知られ、鎌倉時代に建立されましたが、永禄年間(1563〜64)の一向一揆で、破却追放の憂き目にあいました。1585年(天正十三)に、復帰が正式に許され、江戸時代初期には本堂の再建も行われました。 この本堂は、近世真宗寺院の代表的建造物です。特に注目される点は、一間ごとに角柱をしげく林立させ、荘重な宗教的建築空間をみごとにかもし出していることと、北余間が完全に成立している最初の遺構として重視される点です。なお、廻縁の勾欄に青銅製の擬宝珠十個が取りつけられており、それぞれに、「寛文三年」(1663)の年次と寄進人名が刻され、本堂の最終完成年次を知ることができます。 入母屋造・向拝一間・本瓦葺・桁行七間・梁間九間・一重 『本證寺案内板』より
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資料 |
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私見 |
本證寺はいろんなところで紹介されていましたので写真では知っていましたが、実際にやって来て「ここが家康苦労した三河一向一揆の地か・・」と思うと感慨深いものがありました。 本證寺は現在も周囲に内濠がめぐらされており、駐車場を探すのに一周したためにその様子をよく確認することができました。ちなみに駐車場は一般的によくある山門脇ではなく、道路向かいか、あるいはとなりのお店の駐車場を使わせてもらえるようです。なお、道路脇の寺よりやや北側には「そとぼり」の碑がたつ外濠跡が一部残されていますので確認されるといいでしょう。 それにしても案内板で「三河三か寺」と書かれるとあとの2つはどこなんだ?と気になりますよね。上宮寺、勝鬘寺ですのであとは場所を調べてください(^^;。よく知られる鼓楼は思ったよりも小さいもので驚きましたが、あとの2寺はどんな状態なんでしょうね。 最後に、山門には『仏の願いはそのまま 私の願いはわがまま』と書かれた文章が貼られています。しばらく考えさせられましたが、「城跡はあるがまま、お城めぐりは気の向くまま」でやっていこうと思います。
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