城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

保科正直邸

保科正直邸跡


登城日:(2009.08.29)
所在地: 安城市山崎町大手、正法寺
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
正法寺が保科正直の居館跡とされています。
 保科正直は武田氏に仕え、信州(長野県)高遠城主でした。武田氏が滅びると、北条氏に帰属しましたが、1584年(天正十二)小牧長久手の戦のころ、徳川家康につき、山崎村に領地を与えられ、その館跡が正法寺の境内地です。1590年(天正十八)、家康の関東移封までここに住んでいました。

『保科正直邸跡案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
正法寺の山門をくぐって、脇にある土塁跡?  遠くからみてもなるほど歴史がありそうな・・と見えていた正法寺ですが、近づいてみたら印象がまったく違ってました。今にも崩れ落ちそうな土塀がなんとも寂れた味わいを出していますね。居館跡としての遺構があるのかどうかはわかりませんが、土塀内側の土を盛った状態が土塁に見えて仕方ありませんでした。が、ここではそれ以上考えられませんのですぐ撤退しました。
【戻る】