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井田城跡登城日:(2005.04.04) 所在地: 尾張旭市井田町井田町4丁目 、八反田公園 |
歴史 |
古くから土地の人が城山と呼んでいた井田城址は土地区画整理事業に先立ち、昭和五十三年に発掘調査が行われた。 東西約66メートル、南北約67メートルの本丸跡や土塁、掘跡などが確認され、出土物から室町時代以降の土豪の居館であったと推定される。 「古城主覚記」には、浅井源四郎、浅井与九郎、林三郎兵衛の名が城主として記され、また、明徳年中に浅井玄蕃が居城したという井田八幡社の社伝も残されている。 井田城跡は、寛政五年(1793年)の井田村略図にも古城として描かれており、まわりの水田よりも一段高い畑になり残っていたことから、地元の人々からは城山と呼ばれていました。 昭和五十三年、この地区の区画整理に先立って発掘調査が行われました。城跡は、東西約66メートル、南北67メートルのほぼ正方形で、土塁と堀を巡らせていたことがわかっています。東側に残っていた土塁を調べると、高さ約1.2メートル、幅約5メートルで、発掘された堀はU字型に掘り込まれており、幅約3.6メートル、深さは0.5〜1メートルありました。 かまどの跡や井戸跡も発見され、瀬戸焼・美濃焼の天目茶碗や鉄釉・灰釉・黄瀬戸・織部の皿、灰釉香炉、すり鉢、羽釜、内耳鍋などの室町時代以降のものが多く出土しています。柱穴も発見されていますが、残念ながら建物が建つようには並んでおらず、どんな建物があったのかはわかっていません。 尾張旭市には、7つの城跡があったことが知られていますが、村絵図などをみると、そのほとんどが水路沿いまたは水田のなかにあります。発掘調査の結果とあわせて考えると、水田地域を支配していた土豪層がこれらの城を築いたものと思われます。 『井田城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
名鉄瀬戸線「三郷」駅を南下し井田町の交差点を右折し、道路南側を1本筋入ったところにある八反田公園が井田城跡となっていました。最初古墳跡かと思ったのですがこれは土塁跡なんでしょうか?発掘調査後、すっかり消滅してしまった感じですね。
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