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石川丈山屋敷跡登城日:(2009.08.29) 所在地: 安城市和泉町中本郷、丈山苑 |
歴史 |
◆丈山苑のご案内
江戸時代初期、武士を捨てた石川丈山が、京都一乗寺に建てた詩仙堂。丈山苑は、そのイメージを生誕地である和泉の地に再現し、文人石川丈山の心をくみ取ることのできる風雅の施設として安城市が運営しています。 苑内の建物は、詩仙堂を思い起こさせる木造建築で「詩泉閣」と名付け、狩野探幽の「画」・丈山の「賛」と伝えられる三十六詩仙の詩仙堂額(複製)をはじめ、隷書体の書幅など、丈山の感性をしのぶことのできる雰囲気につつまれています。 庭園は、丈山の作庭した詩仙堂、東本願寺渉成園(枳穀邸)、田辺の酬恩庵(一休寺)の三庭園をイメージし、唐様庭園・回遊式池泉庭園・枯山水庭園を組み合わせた本格的な庭園であり、所々に丈山の漢詩碑も配しています。(『石川苑案内板』より) 石川氏がこの地に居住したのは、享禄三年(1530)に宇利城攻略の際の戦功によって松平清康から当地を与えられたのが初めとなる。以後正信、信定と続き、信定の長男として石川丈山も生まれ育った。丈山は大坂夏の陣まで家康に仕えていたが、その後転身し漢学者として人生を全うした。(「愛知の城」ブックショップ・マイタウン刊参照)
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資料 |
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私見 |
石川丈山屋敷は、そこだけ周囲と雰囲気が全く違い、厳粛でかつ高級感を漂わせる庭園となっています。手持ちの書籍には幅7〜8メートルの薬研堀が約40メートルにわたって残っているとありますが、これのことかなぁ・・という感じです。石川氏屋敷とせず丈山と個人名とするほど名を成した方なんでしょうが、私は不勉強で存じ上げませんでした。なので、こんなもんかな、という感じで次に向かいました(^^;。
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