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刈谷城跡


登城日:(2005.06.08)
所在地: 刈谷市城町1丁目、亀城公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
刈谷城城址碑 刈谷城腰郭を囲む城池  天文二年(1533)に水野氏が金ヶ小路のほとりに築城した。水野氏を最初に、以後水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦、土井氏の譜代大名が城主となる。明治四年の廃藩置県後、刈谷城は政府の所有となり、城郭の建造物は取り払われた。大正二年大野介蔵に売却され、旧城跡を永久に保存することとなった。昭和11年町から旧城跡を公園にしたいと意見書が出され、刈谷町に売り渡され、翌年には亀城公園となった。
 昭和十六年(1941)太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の高台が高射砲陣地となり、うっそうとしていた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となった。

『刈谷城跡案内板』より

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資料
 

私見
大手門をすぎた先にある町口門跡  刈谷城は、水野忠政によって築城されましたが、桶狭間の合戦により破れた今川軍により焼かれてしまいました。しかし慶長五年(1600)水野忠重により再建されました。その時の刈谷城は今の状態からは想像できないような立派なものだったようですね。
 亀城公園となっている本丸を中心に櫓が四隅にあり、二の丸と腰郭がまわっています。その外側を現在も存在する城池や亀池があり、郷土資料館のあたりが三の丸になります。資料館の前に小さな石碑も残されていますね。
 そしてそのまま東へと坂をあがっていくと大手門へと続き、城下に出るわけです。郷土資料館で刈谷城と現在の地図を重ね合わせた地図がもらえますのでそれを持って付近を散策すると当時の様子を想像しやすくなり、楽しくなりますよ。
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