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清洲城跡
登城日:(2000.05.28)
所在地: 西春日井郡清洲町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
復興された清洲城天守閣 清洲城は文明年間の末、下津城(稲沢市)に代って尾張守護所になった由緒ある城である。
戦国乱世の頃、重臣の風儀の乱れは堪忍ならずとして清洲城を急襲した若武者は那古野城主織田信長であった。そのまま城内北櫓を占拠して尾張統一を志す。強敵岩倉城や、今川義元軍を打倒して遂に尾張統一の初志を果たし、続いて美濃・近江を始め諸国に制覇の軍を送り、常勝軍の勢いあり、冷静にして大胆な判断、冒険への挑戦、天下平定への壮大な構想等、信長公は正に偉大な超人であった。清洲にとっても信長公は素晴らしい歴史と誇りを残された。 町制百周年を迎える平成元年四月、清洲のふれあい郷土館として清洲城天守閣を再建し、竣工した。清洲のシンボルであると同時に、尾張のモニュメントになることを願ってやまない。
復元された信長塀 徳川義直の代に家康公の命により名古屋城及び新府を建設、旧都清洲城は廃城廃都になる。

『清洲城跡案内板』より

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資料
清洲城歴代城主
・織田信長
・織田信忠
・織田信雄
・豊臣秀次
・福島正則
・松平忠吉
・徳川義直

私見
離れたところにある城址碑 新幹線に乗っているとよく見える清洲城へとやってきました。ここはよく本やら写真では橋越しに天守が撮られていますが、実は城があった場所はここではなく橋の反対側なのですね。城址や公園が作られてますので迷うことはありません。どうも清洲町は昔城がたっていた場所を壊すことなく、天守を復興させたようですね。その志は非常に好感がもてます。
でも結局天守の中には入りませんでしたが。
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