豊臣太閤屋敷跡登城日:(2006.02.13) 所在地: 名古屋市中村区中村町字木下屋敷、常泉寺 |
歴史 |
◆御手植の柊 秀吉は(1590年)小田原攻め凱陣の時、此の地に立寄りて一宿なさる。小早川隆景、加藤清正を呼召され、寺の建立ありたしと見れば、私十一才の時植え置いた柊(1547年)が繁茂せり、柊は鬼神も恐れる吉祥の樹なり大切に致すべしとして、手づから竹を立添えられる。以来「幹」が衰えても下枝が育ちを繰り返しながら現在に至る。 ◆豊臣秀吉誕生の地 天文五年(1536年)、豊臣秀吉は、木下弥右衛門の子としてこの地に生まれた。幼名は小竹、あるいは日吉丸。姉智子(関白秀次生母)は同父同母の姉、小一郎秀長(大和大納言)と朝日姫(徳川家康正室)は、異父同母の弟妹である。 出生地については、区内下中村町という説もある。 ◆豊太閤産湯の井戸 此の井戸は秀吉公生誕の当時近郷に類のない清水の溢れる井戸と伝えられております。 此処に秀吉の依頼によって寺を建立した時この清和泉の湧出を意味として常泉寺の寺号を定めたと当山の縁起書に記されております。 昭和四十年代に入り市の発展にともない地下水の変動で常泉も枯れるに至り多くの人々が元の姿にもどすことを希っておりました。 年号改元を機に常泉寺の名のとおりの再現を試み清泉がよみがえりました。 滝の落下する後の石は千成びょうたんにちなんで「萬成石」が使用してあります。 ◆常泉寺 太閤山と号し、日蓮宗。 慶長年中(1596〜1615)円住院日誦上人の創建という。 この地は、織田信長に仕え、足軽から身を起こして、後に天下を統一した豊臣秀吉誕生の地と伝える。 境内に伝承として、秀吉手植の柊(基木より五代目という)と秀吉産湯の井戸がある。 なお、誕生地については、中中村(現中村中町あたり)とする説もある。 『井田城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
豊臣秀吉は父木下弥右衛門と母なかとの間に生まれましたが、父は秀吉が六歳の時に死亡し、後に母は筑阿弥と再婚しています。この常泉寺は筑阿弥の屋敷跡であり、中村中町のほうが生誕地ではないかとする説もあるようですね(「愛知の城」)。 周りの屋敷跡とセットで見て回れる中村公園にあるほうが訪れる人にとっては楽でいいですね(爆)。この日は訪れる人もなくゆっくりと見て回ることができました。
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