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甘崎城跡登城日:(2004.05.01 → 2010.05.01) 所在地: 今治市上浦町甘崎 |
歴史 | ![]() ![]() ![]() 『甘崎城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
大三島に渡りました。この島で拝める城跡は島の南東部の海岸に面した海上にある甘崎城跡です。白村江の戦いに破れた天智天皇は唐軍の追撃に備えて対馬から大阪あたりまでの瀬戸内にいくつかの城を築きました。ここもその一つだそうです。海岸沿いに案内板があり、ここからはすぐ目の前です。約100メートルほどの距離なので泳げばすぐなんですけどねぇ(^^; でもこの城跡、というか島は干潮時には歩いて渡れるんだとか・・そういえば島からこちらに伸びてくる1本の道がうっすらと海面に見えているのが確認できます。限られた時間のみ現れる城への大手道。素敵ですねぇ。 干潮時には島の周囲に石垣や柱穴も見られるんだとか。どなたか渡られた方いらっしゃったらその時の様子を教えてください。 ![]() ![]() どうやら歩いていけそうだということを確認すると、急いで古城島を目指します。別に慌てなくてもいいのですが、目の前にお城があるとそういうものですよね。まず海面にその姿を現したのは南側にある石垣です。大きな石が使われており、4段ほど詰みあがっています。隅石はきっちり算木積みとなっていますね。これは藤堂高虎が伊予に配された後の遺構だそうですので、白村江の戦いの後から考えると随分と長い間、城として活用されていたのですね。 ![]() ![]() 島を一周してきますと完全に大三島と1つの大きな道が姿を現していました。地元の方でしょうか、手にバケツを持って次々とやってきます。どうも潮干狩りをするようですね。私は島の南西部から取り付き、島の頂部にあがってみました。特に目を見張る遺構があるわけではないですが、大きく二段に分かれた地形で少し土塁のように見えるものもあるといった程度でしょうか。ここがどれだけ城として機能するに足るものだったのか、上にあがってみて改めて疑問を感じました。とは言えここに上がれただけで十分満足です。 ![]() ところで、往時はどうやって水を確保していたのでしょうか。井戸はもちろんありませんので、大三島から飲料水を確保してこなければなりません。能島城も同様でしたが、ここ甘崎城も対岸から運んできていたようです。地図を見れば最寄のバス停が「水場」となっています。果たして関連があるのかどうかはわかりませんが、こういうのってワクワクしてきませんか。バスが廃止されずに残されることを祈るばかりです。
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