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花見山城

花見山城跡


登城日:(2009.09.22)
所在地: 松山市堀江町、祇園神社
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山麓部にある城主のお墓 花見山城主郭跡には神社が建っている ◆花見山城と城主の墓
 1368年(室町時代前期)、河野通堯は、葛籠屑(つづらくず)城主・村上大蔵大夫に命じて、花見山に出城を築かせた。当時、守護や地侍の勢力争いが絶えず、領地を守るために出城を造り敵に備えていた。築城後、通堯は、この地方から他郷の細川勢や仁木勢を退け、政治を安定させた。
 1379年、通堯は、将軍・足利義満に味方し伊予国の守護に任ぜられた。その後、城代・西通孝から引き継いだ西山氏(西の改姓)が代々城主となる。城主・西山氏の墓は、この花見山の麓にある。第四代城主・西山肥後守通倫、第六代城主・西山五右衛門通周は、この地方の開発や村人の救済に尽くした功績で正八幡神社本殿左側の周敷神社に祀られている。

『花見山城跡案内板』より

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資料
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私見
南へ段差のある郭が残っている  国道196号線松山北条バイパスを今治から松山方面に南下しているとトンネルが2つ続く箇所があります。2つめのトンネルを出て約1.5キロ、信号で3つ目を右折して新池そばに車を止めるとそばにある小高い丘陵に視線を送ります。城の案内板が設置されていますのでそこに花見山城跡があったことがよくわかります。土地勘のない場所に遠征しているとたまに間違った山に登っていたり、場所を微妙に勘違いしてしまうことがありあとで非常に悔しい思いをすることがありますのでこんな風に案内板があるとほんとにホッとします。まぁたまに全然違う場所に設置されていることもありますが。
 さて、案内板にあるように城主のお墓の前で軽く手を合わせますと少し薮をかきわけて丘陵上へと出ます。神社の社が建っていますのでよく見れば参道があったんですね。神社がある場所から段差が2つ作られています。下の段は畑となっていますのでいくらか改修されているのでしょうね。あまり見るものはありませんがこんなもんでしょう。
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