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西条藩陣屋跡


登城日:(2006.08.12)
所在地:西条市明屋敷 、西条高校
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
高校の校門として残る西条藩陣屋の大手門  寛永十三年伊勢神戸城主一柳直盛は、郷国西条へ転封になったが、赴任の途次大阪で病没したため、長男直重が後を継ぎ西条に赴任し、西条陣屋を築造し城下町を開いた。直重の後を継いだ直興は、寛文五年改易となり一柳氏の治政は、三十年間で終った。
 そのあと、寛文十年紀州から徳川頼宣の次男松平頼純が就封され、その後十代二百年間松平頼英が明治二年版籍を奉還するまで、西条は城下町として繁栄した。
 現在陣屋跡は、西条高等学校となっているが、校門となっている大手門、門脇の堤、前濠の石崖、お矢来、濠等に昔の面影が偲ばれる。

『西条藩陣屋跡案内板』より

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資料
 

私見
大手門脇にある土塁跡 美しい水濠が象徴的です。  西条陣屋は今もなお水をたたえる濠が美しく残されているところです。現在はかなり内陸になっていますがかつては海沿いに位置していたらしいですね。現在は陣屋跡に高校が建っているのですが、この日はちょうど夕方ということもあり下校する女子高生がなかなか途切れず、シャッターチャンスが見つからずかなり怪しかったのではないかと思います(笑)。最終的に大手門は正面から撮ることを諦め、斜めからにしたのは生徒をフレームに入れないで撮るための苦労の結果なんですよ。生徒からすればよく見る光景なのかもしれませんが、ちょっと緊張しました。
 さて、遺構は水濠のほかに大手門、門脇の腰巻状の土塁、その横に移築門などが見られました。陣屋というよりも本格的な城郭の構えを感じさせる佇まいにしばらくぼうーっと見てましたが、それも今考えれば怪しいヤツだったのかもしれません(汗)。
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