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一乗谷館跡 登城日:(1998.11.22→2010.08.17) 所在地: 福井市城戸ノ内町 |
歴史 | ![]() ![]() この館は山城を背にして西を向き3方に堀と土塁を巡らし、門を開き、隅櫓を構えている。内部には10数棟の建物群が見られ、これらは大きく2つに分けられる。1つは主殿を中心として南半に位置するもので、接客の機能を持ち、会所や数寄屋・庭園等も見られる。もう1つは常御殿を中心にこの北側に位置するもので、主人の日常生活の場となり、台所や持仏堂・湯殿等も見られる。この他、厩等も存在した。建物はすべて礎石の上に角柱を立て、舞良戸・明障子といった引戸を多用し、畳を敷きつめた部屋も多かった。また屋根は柿板等で葺いていたと考えらている。書院造の成立過程を知る上で欠くことの出来ない貴重な遺構である。 ![]() ![]() 本庭園は、一乗谷で最も古い4代孝景の頃の、廻遊式林泉庭園である。 庭池は南北に細長く、汀線は複雑に入り組んだ形で、周囲には山石の巨石(凝灰角礫岩)による護岸石組や滝石組、三尊石組などの豪快な石組がなされている。滝副石は左右ほぼ同じ高さで、水落石は1段、滝口の前には、水分石がある。導水路が発掘され、往時は池に水がたたえられていたことが分った。 中島は亀島、西端の大石は鶴石ともいわれている。 右方には園路の跡があり、池尻付近には橋狭石に相当する石もみられ、排水路の出口は空濠石垣で壊されている。 観音山を背景に、林立する苔むした庭石群は、一幅の水墨画を連想させる。 『一乗谷館跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
![]() ![]() まず車で北側から近づいていくと下城戸跡が石積みで再現してあるのが目に入ってきます。幅の狭い通路により通行を厳重にチェックできていたのでしょうか。そこからが特別史跡のエリアですのでまわりを見渡してみますと確かにそれらしい整備をされている箇所が点在しています。しかし一方で民家や畑もありますので、このあたりにお住まいの方は苦労されていることでしょうね。 ![]() ![]() まずは駐車場そばにある復元町並を散策します。受付に日本100名城のスタンプも置かれていますのできっちりスタンプをゲット。暑いせいかいつも以上に復元された室内にいる時間が長くなってしまいます。復元町並の中には自販機がありませんので事前に用意しておかないといけないのもポイントです。 ![]() ![]() ![]()
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