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武田氏館跡


登城日:(2005.05.03)
所在地: 小浜市小浜男山 、空印寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
武田氏館大手口です。  武田氏館は、大永二年(1522)に若狭守護武田元光が後瀬山の山上に城郭を築いた際に、北側山麓に築いた居館である。
 幕府管領細川高国の命により参戦した元光は、大永七年(1527)の丹波勢との京都桂川での合戦において大敗北を喫し、以後武田氏の衰退が加速度を増していくようになる。
 元光に継いで子信豊、その子義統が守護となるも相次ぐ国内の内乱や混乱を収めることは出来ず、ついにはその子元明の代に、永禄十一年(1542)朝倉義景の軍勢に敗れ、越前に連れ去られてしまった。
 やがて、天正十年(1582)の本能寺の変後、元明は羽柴秀吉によって明智光秀に同心したという罪をかぶさられ生害させられた。それにより若狭武田氏は断絶となった。

『中世若狭を駆ける〜若狭武田氏とその文化』福井県立若狭歴史民俗資料館刊参照

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資料
 

私見
空印寺です。  武田氏館は、若狭守護の館ということもあり、現在の空印寺から小浜市立小浜小学校までを含む広大な面積であったようです。平成三年に発掘調査が実施された時には館周りを水堀跡がめぐらされていたのが確認できたとか。現在はその面影も見ることはできませんが、小学校グラウンドから後瀬山城にも登ることができるんだな、と今になって気づきました。(しまったなぁ・・)
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