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黒崎城跡登城日:(2007.10.11) 所在地: 北九州市八幡西区屋敷1丁目 |
歴史 |
城山またの名を道伯山というこの山に、かつて福岡城の端城の一つ黒崎城があった。 慶長五年(1600)関ヶ原の戦いの功により五十二万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌六年から福岡城の築造にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため同十五年までの間に、この黒崎城をはじめ若松城(中島城)、大隈城、鷹取城、小石原城、左右良城の六端城を築いた。そして黒崎城には黒田二十四騎の一人、井上周防之房を城主として任じた。 しかし元和元年(1615)幕府の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。 のち元文三年(1738)この城の石垣は新田開作(現在の黒崎駅付近)のための護岸に使用された。今では山頂に石垣がわずかに残るのみである。 なお、この山に初めてとりでを築いたのは、天慶二年(929)、ときの朝廷にそむいて瀬戸内海に兵を起こし敗れた藤原純友との伝承もあるが定かではない。 『黒崎城跡案内板』より
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資料 |
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私見 |
JR鹿児島線「黒崎」駅から北東方面に500メートルほどいった距離にある小高い独立丘陵の上に黒崎城はありました。車で上まであがれるのですが、ここは歩いて朝駆けしてみました。 駐車場となっているあたりが三の丸、そして二の丸、本丸と続く構造ですが、事前に見ていた発掘調査時の石垣の様子をイメージしていたのとはやはり違いますね。埋め戻されたものもあるとはいえ、あちこちに転がる石や部分的に見られる石垣を見ていると往時の威容がうかがい知れるというものです。とはいえ今はよく整備された公園といった色合いが強いのはやむを得ないでしょうか。 ところでその整備されっぷりに納得したのはそこに住人がいらっしゃったからでした(^^;。あちこちを登ったり降りたりしながら散策していると石碑の後でお休みになっておられる方と遭遇しました。ものすごくびっくりしましたが、起こさずそぉーっとあとにしました。(^^;;
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