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直方陣屋

直方陣屋跡


登城日:(2007.10.11)
所在地: 直方市大字直方、多賀公園
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
西徳寺に移築されている直方陣屋の移築門 公園化されている直方陣屋跡  直方陣屋は、元和九年(1623)黒田氏の二代目忠之が藩祖長政の命に従い、長政の四男勘兵衛高政に遠賀・鞍手・嘉麻三郡のうち四十三カ村四万石を与え東蓮寺藩を作ったのがはじまりである。やがて延宝三年(1675)に直方と改称し、それが現在に残っている。
 同藩は約五十年続いた後に本藩に吸収され、明治に入ってからまた黒田長和によって再興され、三十年余り続くこととなった。

◆浄土真宗本願寺派 覚音山 西徳寺
 西徳寺は覚音山と号する浄土真宗の寺院で、筑前名島城主小早川秀秋の家老、篠田次郎兵衛重英の開基である。
 重英は関が原の合戦後出家し、「西徳是照」と称しこの地に草庵を結んで専修念仏の業を修めていたが、寛永五年(1628)三世清順の時に「西徳寺」という寺号を許された。
◆西徳寺山門
 山門は桁行二間、梁間一間の薬医門で、屋根は切妻造りで本瓦葺、片側に脇戸を設ける。寺伝によれば、直方藩が福岡に還府された享保五年(1720)以降に直方藩御館の門を移築されたものとされる。門の形態から寺の門ではなく、城や館の門と判断され、寺伝の信憑性は高い。この門が本来直方藩主館の門を移築したものとすれば、遅くとも元禄五年(1692)頃に建造された門とみられ、市内に現存する最古級の建造物として、また、城下町時代の数少ない遺構として貴重な文化財である。
 平成十三年十二月〜平成十四年四月に改修工事を実施し、柱、扉、彫刻の修理、腐食部の補強、基礎コンプリート工事等を実施した。
◆西徳寺の梵鐘
 総高123センチメートル、口径70.4センチメートルを測る江戸時代前期につくられた梵鐘である。もとは、福岡藩の梵鐘で、高名な儒学者貝原益軒の銘文がある。銘文には寛文四年(1664)福岡藩主黒田光之の命で改鋳された梵鐘で、場内に時を告げる「時の鐘」として用いられた事が記されている。

『西徳寺案内板』より

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資料
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私見
公園化されている直方陣屋跡  多賀神社裏手の駐車場に車をとめ、ぼんやりと公園となったあたりを散策してみます。すでにかなり手がはいっているようで城跡、陣屋跡といった雰囲気は感じ取れませんでした。公園奥に渡されている橋の下が掘であればいいなぁと思いましたが、なんとも・・。
 次いで、進路を北にとり、西徳寺を目指しました。ここはちょうど時間帯も悪かったのか、園児を迎えにきたお母さんの車と激しい駐車場バトルを繰り広げつつなんとか車を止めることができました。そこから東へ向いている同寺の山門へと向かいます。これが陣屋の門なんですね。ようやく達成感を味わうことができましたよ(^^;。
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