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浦城(大宰府城)跡
登城日:(2005.03.19)
所在地: 大宰府市大宰府
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
浦之城橋の碑だけが城の名を残してるのでしょうか。  浦城(大宰府城)は、弘安五年(1282)、鎮西奉行所が博多に設置された際に鎌倉幕府がその補償並びに恩賞として、少弐経資に与えたものである。少弐氏は武蔵の住人武藤小次郎資頼が、大宰少弐となってから名乗ったのがはじまりである。
 少弐氏の居城はほかにも有智山城があるが、この浦城は少弐氏のために鎌倉幕府が築いた公城公館(少弐氏に残された大宰府の公的役所としての城)である。

『福岡県の城』海鳥社刊参照

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資料
 

私見
今は何もありません。  学問の神様として有名な大宰府の西方約300メートルの浦城橋北側一帯がかつての浦城跡だったようです。現在はすっかり住宅地となり、面影もありません。城好きな方はここを通り過ぎて岩屋城にあがられるのが常なんでしょうね・・あぁ私は時間がなくていけなかったのがなんとも・・(;_;)
 大宰府にいかれたら名物、梅ヶ枝餅をぜひご賞味ください。おいしいです。あのあったかい餅をもう一度食べたいと思わずにはいられません(^^;
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