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長松城跡
登城日:(2004.10.09)
所在地: 大垣市長松町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
荒崎小学校脇にある城址碑  永禄元年(1558)竹中重元が揖斐郡大御堂より岩手に移る。この際竹中源助は之に従い来て三千石を領して此所に城を築いた。是れが長松城である。
 戦国時代で竹中源助は豊臣秀吉に仕え各地に転戦し、太閤秀吉も長松城に来ている。
 竹中源助に幾多の戦功を立て豊後国(大分県)高田城一万石に移る。その後秀吉の家臣武光式部が五千石を封じて入城する。
 慶長五年(1600)関ヶ原戦役の際、武光式部は西軍石田三成に属し此所長松城で東軍を迎え撃つ。武運つたなく八月二十八日桑名方面に退去するに至った。東軍一柳監物が入城して守るが戦後廃城となる。
 以後西美濃の要地として使われ、末には飯沼慾斎が学問の地として仕えた。

『長松城跡案内板』より

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資料
 

私見
 長松城跡は、荒崎小学校脇に城址碑と案内板が設置されています。まわりは住宅地となりかつての姿はすっかり消滅していますが、長松城には古城図が残っており、かなりの城域であることがわかっています。本丸跡で800u、二の丸で8000uと言うんですからすごい規模ですね。
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