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小里城跡登城日:(2007.05.03) 所在地: 瑞浪市稲津町小里 |
歴史 |
小里城は、土岐氏一族の小里氏が居城であったとされ、城主小里光忠・光明父子は織田信長に仕えていた。天正二年(1574)に武田氏が明知城を包囲した際信長は救援に赴くが間に合わず落城した。その時に信長は小里城を普請して番手として池田恒興が任ぜられたようだ。(『信長公記』) また、天正十年(1582)の本能寺の変後、光明は金山城主森長可に従わず、徳川家康を頼って小里を退去。慶長五年(1600)の関ヶ原の合戦の折には再び小里に入城し東軍として戦った。その功により光明は土岐・恵那郡内に3580石を賜ったが、その子光重の代に嫡流がなく、断絶となった。これにあわせて小里城は廃城となった。(『寛政重修諸家譜』) 『小里城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
小里城の歴史はどうもすっきりしないようなのですが、しかし小里城の遺構はかなり良好に残っていました。慶長五年以降に築かれたとされる山麓周辺に広がる居館部は駐車場からすぐに巨石がごろごろしていたり、石垣が傾斜の中に見られます。かなり広い範囲に広がっていたのがみてとれますね。特に枡形となっているあたりの石垣と土塁は素晴らしいです。これだけで満足して帰りそうになりますが(笑)、その上の段に「御殿場」跡を示す石碑が建てられていました。さて、ここからがかなり山歩きが必要になります。 途中経過はすっ飛ばして(笑)、約20分ほどだったか山頂部に到着しました。石垣に目を奪われますがそれは後回しにして、まずは曲輪の全貌を掴もうと斜面をぐるりと歩いてみました。東側へ緩やかに下る段差の中にあまりはっきりとしませんが、小さな曲輪がいくつも続いています。堀跡は見られなかったと思いますので石垣が積まれた時期よりも以前のものなのかもしれませんね。 石垣は「天守台」が見事な状態で残っています。複雑な形状と露岩を取り込んだ状態も特徴的ですね。内部はくぼ地となっており穴蔵になっています。かつては安土城に先行して織田信長が試作的なものとして築城しようとしたとする説もあったと聞くと一層注意深く観察したくなってきます(笑)。しかし、大正、昭和と改変を受けたために旧情は不明であるということ、加えて近年発見された『小里城絵図』ではここに櫓台状の土壇が描かれていたことから、石垣が在ったことさえも怪しくなってきますね。城跡は時代と共に少しずつその姿が明らかになってくる楽しさも醍醐味だなと思います。 私はすでに山麓部で満足でしたが、この小里城は再度訪問して注意深く見ていけばまた新たな発見がありそうなお城だと思います。(『岐阜県中世城館跡総合調査報告書第3集』岐阜県教育委員会刊参照)
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