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墨俣城

墨俣城跡


登城日:(1998.12.06 → 2010.08.28)
所在地: 大垣市墨俣町墨俣
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
資料館前にある秀吉像 墨俣城じゃなく墨俣歴史資料館  戦国の頃、尾張の織田信長は美濃進出の足場とするため洲股に砦に築こうと企て佐久間信盛、柴田等に築城を命じたが相次ぎ失敗したので大いに怒った。時に木下藤吉郎秀吉進んでこれに当たる。永録9年9月蜂須賀小六等の野武士2,3千人を率いて大小の長屋十棟、櫓十棟、塀二千間、木柵五万本分人夫一千人を使い夜を日に次いで普請を急がせた。七日程にて大かた城もでき一夜の内に塀櫓を押し立て塗り立て完成したように見せかけたので攻撃中の井ノ口の斎藤龍興の城兵八千余騎は驚いて敗走した。信長はその攻を賞し秀吉を城主をした。俗に一夜城という。秀吉出世の由緒ある城である。

 墨俣町民長年の願望であったお城が平成の年に一夜城址に築城できたのは当時の名古屋中部地方建設省関係者と木曽川上流工事事務所長町田脩氏のご尽力により此の地に認可されたものであり、その功績に深甚なる敬意を表したその事実を後世に残すためここに記す。
 平成六年三月 墨俣町長

『墨俣城跡案内板』より

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資料
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私見
見た目には大変美しい墨俣歴史資料館  若かりし秀吉が一夜にして築城した一夜城として知られる墨俣城ですが、現在は平成三年に完成した模擬天守、墨俣歴史資料館が建てられています。以前は馬鹿にしてなかなか行く気になれなかったのですが、資料館の展示物を拝むという目的もあるんだと言い聞かせて(笑)、行ってみました。とは言え98年に1度来ていたんですけどね。
 改めて見る墨俣城(と言っていいのか)は、見栄えや写真写りだけは見事ですね!足元に流れる川を堀として凛と建つ姿は思わずシャッターを切ってしまうほどです。でも忘れてはいけません。これは墨俣城とは関係ないですから(^^;
遠くに見える岐阜城  正面入り口手前には秀吉の像が設置されていました。秀吉の身なりからは、栄華を極めた晩年の頃が表現されているように思うのですが、墨俣城前に設置する像としてはこれでいいのか?と思ったりもします。そして資料館内に入ります。思っていたよりもちゃんとした展示内容で少し落ち着けました。窓からは遠く金華山と、山頂に建つ岐阜城も見えていました。かつての秀吉や信長も、ここに拠点を置いた時には遠くに見える稲葉山城を凝視していたのでしょうか。とは思うのですが、なかなか想像しにくいものがありますね。
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