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相方城

相方城跡


登城日:(2007.12.08)
所在地: 福山市新市町大字相方、城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山上狭しと迫ってくるような相方城の石垣 綺麗に草が刈られた相方城西郭  標高191メートルの通称「城山(じょうやま)」の山頂を中心にして、東西約1000メートル、南北約500メートルの範囲に城郭遺構が分布する大規模な山城である。
 芦田川を挟んで正面に見える亀寿山城(標高139メートル)を本拠地として備後南部に勢力をもっていた国人領主の宮氏や、相方城より南の地域を本拠地としていた宮氏一族の有地氏などにより16世紀前半には、中世山城として整備されていた。天文二十一(1552)年に宮氏が滅んだ後は、有地一族が出雲国や備後国北部などに給地替えされるまで、相方城を拠点に当地を支配していた。その後は、毛利氏の直轄城となり、東方備えを目的とした近世城郭として整備され、関ヶ原の戦い(1600年)による毛利氏の撤退によって相方城は廃城となった。
こちらにもテレビ塔が建つ相方城主郭  東側郭群の最高所となる郭1(主郭)は、700平方メートルと広く、遺構確認の発掘調査により、郭1の西端より長辺が3.5メートル、短辺が2.9メートルの1間x2間の掘立柱建物跡が確認されたり、郭1東端直下の郭4には郭1から流れ込んだ大量の瓦が出土したことから、郭1の東端には瓦を使用した中心となる建物が存在していたと考えられる。出土した瓦は軒丸瓦・軒平瓦ともに二種類に分類され、a類の軒丸瓦は町内戸手の素盞嗚神社に使用されている軒丸瓦と同じであり、神社には相方城から移築されたと伝わる城門が保存されている。

『相方城跡案内板』より

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資料
 

私見
相方城主郭直下の石垣 相方城主郭上に残っているのは礎石か?  新市工場団地を抜け、テレビ塔が建つ相方城の西郭群まで車であがっていけました。標高191メートルですが比高が結構あるようで、かなり登ってきたように感じますね。狭く東西に細長い山頂部に伸びる郭群と石垣が今も良好に残る相方城は綺麗に草が刈られ、遺構を確認しやすくなっていました。地元の方が整備してくださっているのでしょうか。大変ありがたいことです。
 さて、相方城はまず有地氏によって築かれ、そして毛利氏により主郭部を総石垣に改修されたとされています。ところどころ崩れてしまっているのはありますがこんなにテレビ塔が建てられているというのにうまく残ってくれてるものだと感心するほどです(あ、嬉しいんですよ。)
 縄張り図を見るとかなり下った尾根先にも郭や堀切があるようですが、「マムシ」が出るようなのでやめておきました。ここは石垣と瓦片、そして景色を見て楽しむようにしましょうか。周囲には見渡せるだけでもいくつか城跡がありますので再訪するかもしれません。あ・・・書いていて気づきましたが、麓の神社にあるという移築城門をチェックしませんでした。ううう。
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