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茂別館跡 登城日:(2002.10.26) 所在地: 上磯郡上磯町字矢不来、矢不来天満宮 |
歴史 |
茂別館は嘉吉三年(1443)津軽十三湊城主・安東太郎盛季が館を造ったのに始まるといわれ、南の大館と北の小館から成っている。大館は、西は茂辺地川岸に面し、南と北は自然の沢で限られ、東は空濠を巡らしている。また、小館は西は茂辺地川岸の崖地で、他の三方は自然の沢を利用し、更に土塁を設けている。 北海道の室町時代の和人の館跡のうち志苔館跡、大館跡、上之国勝山館及び上之国花沢館の四件は既に指名されているが今回これに茂別館跡を加え、蝦夷島中世史の解明に資そうとするものである。 『茂別館跡案内板』より
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資料 |
私見 |
茂別(もべつ)とはアイヌ語のモペチで、静かなる川という意味のようです。眼下にはそのモペチである茂別川が流れ、急崖の上に館があったようです。現在は矢不来天満宮が建てられており、遺構こそよくわかりませんでしたが段差のある平地が館がそこにあったのかもなぁと思わせてはくれました。 国の指定史跡にはなっていますが、案内板は錆び放題だし、なんとも拍子抜けする状態だなぁと思ったのは私だけでしょうか。
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