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志苔館跡 登城日:(2002.10.27) 所在地: 函館市志海苔町 |
歴史 |
志苔館跡は、函館市の中心部から約九キロメートル離れた標高二十五メートル程の海岸段丘南端部に位置している。 西側には志海苔川が流れ、南側は志海苔の市街地および津軽海峡に面し、函館市街や対岸の下北半島を一望することができる。 館跡は、ほぼ長方形をなし、四方は高さニ〜四メートル、幅十〜十五メートルの土塁で囲まれ、その外側には、濠が巡らされている。 郭内は、東西七十〜八十メートル、南北五十〜六十五メートルで、約四千百平方メートルの広さがある。 また、館跡の正面にあたる西側には、二重に濠が掘られ、さらに外側に小土塁が巡らされている。 松前藩の史書「新羅之記録」によると、室町時代頃、道南地方には十二の和人の館があり、志苔館跡もその一つで、小林太郎左衛門良景が居住していたことが記されている。 この記述によれば、康正二年(1456)志苔館付近でアイヌの蜂起があり、この戦いにより翌長禄元年五月十四日志苔館が攻め落とされたといわれている。 戦いの後、再び小林氏が館に居住していたが、永正九年(1512)四月十六日にアイヌの蜂起があり、志苔館は陥落し、館主の小林彌太郎良定が討死したといわれている。その後は、小林氏が松前藩に従属したために、志苔館は廃館となった。 志苔館が廃館になった十六世紀中期以降、館跡がどのように使用されていたかは不明ですが、明治時代にはかなり荒廃が進んでいたようです。このため、地元の人達の手により保存の努力がなされ、そのことは郭内に残されている記念碑からもうかがい知ることができます。 大正時代には、北海道庁による調査が行われ、保存状態が良好なことから、昭和九年に史跡に指定され、昭和五十二年には指定地周辺部も追加指定を受けています。 函館市では、史跡保存の万全を期すため、国・道の補助を受けて、昭和五十一年度から「史跡志苔館跡土地買上事業」を実施して指定地の公有化を進めるとともに、昭和五十八年度から六十一年度にかけて、「史跡志苔館跡環境整備事業」を実施しました。 この環境整備事業により、郭内外の遺構確認発掘調査を実施し、志苔館が構築された当時の様子を明らかにするとともに、調査結果に基づいて遺構の復原・整備を実施しました。 また、あずまや等の施設を設置し、この館跡を歴史的学習の場や市民の憩いの場として広く利用していただくよう整備してまいりました。 『志苔館跡案内板』より
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資料 |
私見 |
函館空港のすぐ脇に志苔館はあります。また反対側には津軽海峡の海原が広がり、土塁の頂上からの眺めは格別です。大きな音をたてながら降りてくる飛行機のそばでこんなに見事に土塁や堀が保存された館跡があるなんて信じられないです。ほんと、地元の方のご努力がよく伝わってきます。 車を少し奥にいった広めのスペースに路駐し、そこから散策開始です。よく見たらこの館が建っている場所は小高いながらも平山城の姿をもっているんですね。すぐ目の前に海があるせいで海抜という基準が非常によくわかるのもおもしろいです(笑)。
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