Check |
白老仙台藩陣屋跡 登城日:(2002.10.28) 所在地: 白老郡白老町陣屋町 |
歴史 |
この陣屋跡は、安政三年(1856)蝦夷地の防備を固めるため仙台藩が築いたものである。 安政元年(1854)徳川幕府は鎖国を解いてアメリカ・ロシアと和親(通好)条約を結び箱館などを開港した。このため幕府は、蝦夷地を直轄地とし、翌年仙台藩はじめ津軽・秋田・南部の奥羽諸藩と松前藩に警備を命じた。 (安政6年荘内藩と会津藩も加わる) 仙台藩の守備範囲は、白老から襟裳岬を経手国後・択捉までの東蝦夷地といわれる広域であったため、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・国後・択捉に出張陣屋を築いた。 元陣屋の面積は6.6ヘクタールで掘と土塁を円形・弧状に巡らして内曲輪と外曲輪を構成している。ここには本陣・勘定所・穀蔵・兵具蔵・長屋などがあり、少し離れた東西の丘陵に愛宕神社と塩釜神社をまつった。 元陣屋には常時120名程の人々が駐屯して警備に当っていたが、慶応四年(1868)に勃発した戊辰戦争により、藩士達が撤収したためその使命を終えた。この間12年、慣れない土地での仙台藩士達の苦闘の歴史が、この陣屋跡には刻まれているのである。 (現在の史跡の指定区域は約33ヘクタールである。) 『白老仙台藩陣屋跡案内板』より
|
資料 |
私見 |
今回の北海道攻めの中では陣屋としては随一の規模を誇る仙台藩白老陣屋跡。資料館裏の駐車場に車を置くと、さっそくあたりを散策します。すでに城域内のようですが、遺構としては内曲輪の土塁が一番の目玉ですね。ほぼ円形の形状で全体を2m弱ほどの高さの土塁が取り囲んでいます。またその外側には2m弱の幅の掘が巡らせてあり、2/3ほどのところが水掘となった状態で保存されていました。 曲輪内には本陣、勘定所や兵具庫などの建物の跡を示す礎石が復元されており、当時の状況を想像することができるようになっています。私が訪れた時は月曜日だったので資料館こそ閉館日と残念ながら詳しい資料等にお目にかかれませんでしたが、おかげで(?)整備作業をされている人を見かけることができました。やっぱりこういう方のおかげでいつも綺麗な状態が保たれているんでしょうね。 しかし、こんなでかいところに120人程度しかいなかったなんて・・・それで守れるのかなぁ。
|