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尼子山城跡
登城日:(2005.01.08)
所在地: 赤穂市坂越町高野
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
巨大な岩に圧倒されます。  尼子山城の城主は尼子将監義久であるが、いつ頃築城されたのかは不明である。義久が築城すると以後は出雲の富田城に戻り、一族が在城したという話もある。
 永禄六年(1563)には毛利勢の攻撃の前に落城してしまうが、やがてこの地は赤松方の富田采女が入城したと言われている。その采女も天正年間に羽柴秀吉の攻撃を受け割腹し、城は落城してしまう。
 山麓には尼子義久の墓が建てられている。

『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照

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資料
 

私見
本丸跡です。  相生方面から国道250号線を赤穂に向けて山越えをしたあとの千種川直前の信号を右折し、ユニチカの工場を右に見ながらJRの高架をくぐります。そのまましばらく直進し、やがて上高野の集落の細い道へと進路を少し右に変更します。尼子山城がある尼子山の南西麓になる、民家の脇に小さな登城口の碑があるのが目印です。ほんとはもっと手前に車を停めないといけないと思いますが私の場合はここの住民の方の許可を得て、駐車場をお借りすることができました。
 さて、ここからすぐに山道にはいっていきます。左へと進路をとりしばらく行くと立派な石垣がありますがこれはあきらかに関係なさそうなので無視(笑)、つづら折れの登りをひたすら登っていきます。途中なんどとなく振り返り、少しずつ見えてくる瀬戸内海の景色に勇気づけられます。標高259メートルはなかなかしんどいです。途中の斜面には多くの石が散乱しており、これを使えば軍用石になるなぁと思いながら登ります。20分ほどでこんどは一転して岩場に出ます。右手は「危険」とロープが張られた断崖となり、左は巨大な岩が今にも落ちてきそうになっています。景色は最高ですが、とても落ち着いてられませんので先を急ぎます。
北側には郭が綺麗に残っています。  やがて神社の境内に出ました。ここが頂上であり、本丸跡の削平地なのでしょう。よく見ると北側には数メートルの段差があり郭がつくられているのがわかります。そこに降りてみるとさらにその先にも郭があることがわかりました。そこから2手に分かれるような形で郭が広がっており、大きくは4段を形成しているのを見て取れました。郭は徐々に大きくなっている感じです。
 ぐるりと歩きまわって西側に来るとこれまた「危険」と書かれた巨大な岩が置かれています。こんなものが落ちてきたら麓の民家はひとたまりもありません。想像するだけで身震いしてきます(--;。さて、頂上部にある社を中心に、城郭体系の図では土塀跡となっていましたが、確かに低いものの土盛りの跡が残っています。私には遺構と認識しにくかったですが・・。
 今でも山城の雰囲気が色濃く残るこの尼子山城跡は、ぜひ天気のいい日に登城されることをお奨めします。
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