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毘沙門城跡
登城日:(2004.04.11)
所在地: 美嚢郡吉川町毘沙門字城越
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
歓喜院とその裏手にある本丸跡  毘沙門城が築城されたのは鎌倉時代末期、赤松備後守によるものとされている。のちに藤田氏が居城したが、最後の城主である藤田河内守幸綱の代に、三木合戦において別所方となった。が三木城が落城した後はこの地に戻った幸綱は、自害して果てた。以後城は秀吉の手により焼かれてしまった。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
三の丸下の急な崖を見上げる  毘沙門城跡は現在の歓喜院が建つ場所の裏山にありました。尾根上に展開する城域は意外と広く、東側から四の丸、三の丸と続き、大きな堀切で区切られた先に二の丸、そして本丸とくの字状に折れ曲がったような地形の尾根上にあります。その麓にある歓喜院は藤田氏の居館跡だったらしいとも言われていますが、この場所が城跡だったと言われても十分納得のいく地形です。
 現在は駐車場が作られるなど、麓部分には大きな工事がされてしまっていますが、それでも空堀跡や堀切などを確認できるのは嬉しいです。郭跡へ登るには急な斜面をよじ登ることになり、また尾根上にはかなりの藪があり、城攻めが困難なので歓喜院の地に立ち、ここから付近を統治していた藤田氏の勢い、そしてそれがやがて羽柴軍の前に打ち破られる様を想像するだけでもいいんじゃないでしょうかねぇ。
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