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長水城跡 登城日:(2003.11.23) 所在地: 宍粟郡山崎町宇野字五十波、大谷 |
歴史 |
長水城(長水山城、広瀬城とも言う)は、文和年間(1352〜56)播磨守護であった赤松則祐が長水山山頂に築城したのがはじまりである。これを赤松範資の四男も師頼(広瀬氏の祖)に守らせ、以後4代にわたって広瀬氏が治めていた。 嘉吉の変(1441)以後は広瀬氏から宇野氏へ城主が変わり以後5代続いたが、天正八年(1580)羽柴秀吉の軍により落城した。 『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林社刊参照
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資料 |
私見 |
標高584.8メートルの長水城へ行って来ました。何度も麓の国道29号線を通りながら、いつかはと思っていたのがようやく実現できたわけです。 さて、この城へとりつくには正面から登っていくか、裏手側から車で途中まで登っていくかの方法があります(あと1つあったような・・)。こんな高い山には迷うことなく裏手から行きますよね。(^^; 登城道は五十波の集落やや南を東西に走る川の北側に沿って進んでいくと住宅地の中に小さな標識がたっているのがあるんですが、ここが少しわかりにくいかもしれません。ですが、それさえすぎればあとは1本道です。 予想以上に整備された自動車道をかなり登っていきます。いきつくところまで行けば駐車スペースに車を置き、城跡まで40分(1キロメートル)の標識の脇から登っていきます。比較的緩やかな傾斜の山道はそれほど苦ではありませんでした。が、「あれだけ車で登ったのにまだ40分も歩かされるなんてやはり長水城はすごいなぁ」と感動しつつ、途中井戸跡が2箇所ありましたが、いつのころのものかは不明です。 さすがにやや疲れを感じてきたころにようやく山頂部が見えてきました。民家があることにも驚きですが、何よりそこら辺りを石垣がこれでもかと言わんばかりに広がっています。中でも本丸の石垣が一番迫力があり、その高さは7〜8メートルといったところでしょうか。虎口を通り二の丸へ。ここからさらなる石垣が見える本丸へといくか、堀切りに区切られた郭へといくかしばらく贅沢な悩みが頭をよぎりました。が、とりあえず本丸へ。石垣の上に鉄の階段がつけられたところを上がると信徳寺がありました。その奥には宇野下野守の墓があります。 登り、下りは結構しんどいですがそのつらさが何より頂上に着いた時の爽快感を倍増してくれる山城の醍醐味を味わうには、この長水城最高です。が、夏場は止めておいたほうがいいです。なんせ地元ではヒルで有名な山らしいですから。
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