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風呂ヶ谷城跡登城日:(2006.10.22) 所在地: 三田市けやき台六丁目 |
歴史 |
風呂ヶ谷城址は、ウッディタウンけやき台東端縁にある丘陵尾根の先端に位置しており、北及び東に向けて眺望が広がっています。地形図及び現地調査から、風呂ヶ谷城は三つの曲輪を配し、間を三本の堀切で遮断する山城でありました。また、主郭は北端であったと推測されます。 このような連郭式の城は室町時代前期〜中期の頃と推測され、堀の改修などを経て、あるいは戦国期まで存続していた可能性もあります。 この城址の城主はあきらかでないが、三田盆地の勢力が丹波地域や播磨地域への交通路や、青野川、相野川、内神川の合流点がよく見渡せるこの場所を選んで築いたものと推測されます。 『風呂ヶ谷城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
風呂ヶ谷城は、けやき台の北西端の尾根上にあり比高50メートル弱の山城です。2年前に訪問したときは下から登ってみようとしましたが公園化の工事が進められていたため、諦めていました。 現在はけやき台公園が作られており、その整備ぶりに城跡が消滅してしまったかと心配しましたが、同公園の東脇に綺麗に残されているじゃないですか!しかもちょうど下草や竹なども刈り取られていましたので、実によく地形が露になっています。城跡は南北に伸びる尾根上にあり、南から堀切・郭・堀切・郭・堀切・郭という構造になっています。遠めからもはっきりとわかるその形状はまさに奇跡的だと思えるほどです。この城跡が昭和四十年代の分布調査で発見されたというのですから、それまでの三田市はほとんど人の手が入らない山城にとっての聖地だったのでしょうね。 一番大きな郭となっている北側のそれは主郭と目されているようで土塁がよく残っています。ここまで完存している山城が詳細不明だというのが嘘のようです。今後も大事に残していっていただきたいですね。
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