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賀屋構居跡 登城日:(2004.02.07) 所在地: 飾磨郡夢前町山之内字立船野 |
歴史 |
賀屋構居の本丸は生福寺の境内地にあったといわれ、本丸東の山頂を狼煙山(のろしやま)と呼び、警護の見張りと合図の拠点とし、山頂へ向けて幅一間の堀割や防塁のあとが今も認められ、合戦に備えた頃をしのぶことができる。 賀屋構居の本丸は東西十間、南北三十三間。川の西にあった二の丸は東西四十三間、南北十二間。赤松祐利、祐定が領主をつとめたといわれている。 『賀屋構居跡案内板』より
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資料 |
私見 |
賀屋構居跡(賀野構とも)は、赤松則祐の曾孫、祐利が築城したものであるといわれています。病の為に嘉吉の乱に参加できず、天神山城を退去し、この地に城を築いたのです。 ここも構居という扱いの割には石垣が豊富に用いられています。この夢前町内の史跡の稀有な共通項ですね。主郭跡とされる生福寺がありここの石垣が一番よく目立っています。また、寺へとあがってくる坂道の途中左脇に門跡のような石垣が組まれていますが、これも当時のものなんでしょうか? また、同寺の南側に広く城域が展開されており、南北に伸びる山麓に沿ってよく石垣が残っているのです。ほんとかなぁ・・・。なんでこの辺だけこんなに石垣が残っているのか、またこんなに石垣がよく使われていたのか興味津々です。
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