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八幡山城跡 登城日:(2003.12.21) 所在地: 赤穂市東有年、有年楢原 |
歴史 |
八幡山城は、別名大鷹山城とも呼ばれており、城主は赤松氏の家臣富田右京がつとめていた。天文年間(1532−55)右京は浦上宗景との戦いに敗れ、城は落城したようである。宗景はこの戦い後備前に引き上げている。 やがていつしか城は有年城、または有年山城という名で呼ばれるようになり、城主は本郷掃部介直頼が入っている。が、この本郷氏がいつから城主となったかは明らかになっていないが、のちに姫路池田家に仕え、鳥取藩士となったといわれている。 『日本城郭体系12』新人物往来社刊参照
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資料 |
私見 |
八幡山城は、国道2号線「東有年」の信号を北に折れ、右手の神社脇に車を停めました。そこから鳥居をくぐるとまずは神社をめざします。が、この神社の参道なかなかあなどれません。参道なのに岩盤が突き出た、いきなりの山城攻めモードなのです。お年よりにはいいのかな、こんな参道で・・(^^; さて、神社についてすぐ左手に古い木製の標柱があるのですが、「xx城址」と読めるような気がします。かなり微妙です。そこから境内右脇奥の山道をひたすら真っ直ぐ登っていくことになります。 基本的に真っ直ぐ登るので道に迷うことはありません。が、なかなかきついです。それに岩場が多いので滑ると危険です。何度か大きな岩が飛び出したところがありますのでそこで休憩しながら上ります。すると頂上手前でテレビ局の鉄塔がありました。こんなもんがあるんならもっと登り道は楽になってるんじゃないのか?とはこのルートを通った人なら誰しも思うはずです。 と、ここまで書いて我に返ったのですが八幡山城って遺構がよく残っているのは主郭の北尾根や東尾根じゃないですか!どうりであまりたいしたことないなぁと思いつつ登ってきてたんだ。。ってことでどなたかリベンジしてください(笑)。
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