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細川館跡 登城日:(2002.06.15) 所在地: 三木市細川町桃津字構 |
歴史 |
細川館は下冷泉家が代々細川庄を支配してきた館城である。天正六年四月、別所方岡村某に攻められ、当主為純は討ち死に、長子の為勝は嬉野にて自刃、次子の藤原惺窩は当時在京していたために難を逃れることができた。
現在は遺構は一切ないが、その藤原惺窩の像だけがひっそりと建てられている。
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資料 |
私見 |
天正六年に滅ぼされたというわけですが、羽柴秀吉軍の侵攻を前にした別所長治が近隣の勢力を従えんとして、抵抗した冷泉家を滅ぼしたんでしょうか。 冷泉家は皮肉にもこの時生き残った藤原惺窩によって、大いに名を上げることになります。京都で儒学や古学を究めた惺窩は、家康の再三の要請に応じて徳川家内でその思想を浸透させていきました。よってここにたつ像はその功績をたたえられたためなんですよねぇ。 滅ぼされた冷泉為純の立場は?・・でも惺窩は、播磨において貴重な歴史上の人物ですのでやっぱりこうなりますかね(笑)。
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