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生野陣屋跡 登城日:(2003.09.23) 所在地: 朝来郡生野町口銀谷字元県内 |
歴史 |
天文十一年(1542)山名祐豊は生野銀山経営の拠点として生野城を築城しました。三層の天守閣、隅櫓、外堀をそなえた城で、侍屋敷、町家、寺社も整い繁盛したと記録に遺されています。 その後、銀山の経営は太田垣、織田、豊臣と変わり、関が原の戦いを経て徳川氏に帰属し、この城の本陣を代官所としました。寛永六年(1629)には天守及び隅櫓を取り崩しましたが、270年にわたって銀山経営の中心でした。 明治維新により銀山は政府直轄となり、明治二年(1869)生野県設置とともに、代官所を県庁舎としました。 明治四年(1871)生野県が豊岡県に統合されると同時に建物は除去され、城壁と外堀のみが残りましたが、大正末期には全部が取り壊されました。 『生野陣屋跡案内板』より
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資料 |
私見 |
生野小学校南側に陣屋跡(代官所跡、生野平城)の案内板と石碑がありますが、それだけです。この日は小学校が運動会ということもあって、路上駐車の車のためにうまく撮影することができませんでした。
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