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石守構居跡 登城日:(2002.07.13) 所在地: 加古川市神野町石守字小井 |
歴史 |
領主は、中村新五郎修理太夫重房、同孫之進景利といい、元は別所長治の幕下であったが、長治が天正八年織田信長に亡ほされてからは羽柴秀吉に付きしたがい、因州の戦に武功を樹てたが討死した。
また、一説には三木の乱に討死したともいわれている。 「播磨鑑」 長サ 七〇間 横三〇間 神納庄在石守村 今ハ田地又百姓ノ居屋敷ニ成 と記録されている 『石守構居跡案内板』より
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資料 |
私見 |
高田構居、手末構居同様神野町内に存在する構居跡です。やけに近いところにあるのが信じられないです。さらにこれらの構居跡はほんとに似たような保存状態になっています。 神野町内の細い道をきょろきょろ左右を見渡しながら練り歩いてると、小さな祠や鳥居をもった盛り土されたものが目に入ります。周りは水田地帯なのにそこだけ不自然なほどの雰囲気がただよってる、まさにそんな感じでした。 石守構居跡は加古川市の案内板だけじゃなく、石守城とほられた城址碑までつくられています。似たような保存がされているなかでここだけ城址碑があるってのがなんででしょうね。
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