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一ノ谷城跡登城日:(2009.06.07) 所在地: 神戸市須磨区一ノ谷町 |
歴史 | ![]() ![]() ![]() 和宮様は、仁孝天皇の第八皇女で六才にして有栖川熾仁親王(別荘が後の舞子ビラ)と婚約をされ、むつまじく育たれた。しかし幕末に、朝廷と幕府の関係を改善し国論を統一せしむるため、幕府の強い要請で和宮様は有栖川熾仁親王との婚約を破棄し、十七才で徳川幕府の十四代将軍家茂に嫁がれた。 惜しまじな 国と民との 為ならば 身は武蔵野の露と消ゆとも その後、有栖川熾仁親王総指揮の官軍が江戸幕府へ総攻撃をかけようとしたが、和宮様は嘆願し、江戸の町を戦火から救われた。 昭和三年に神戸市各小学校に二宮尊徳像を寄贈した中村直吉氏は外遊で西欧の女性たちの質素で勤勉な姿にふれ、日本女性の伝統ある美徳保持をいつまでも願い、昭和九年に県一(神戸高校)、県二(夢野台高校)、市二(須磨高校)の三女学校に和宮様を寄贈した。この像は、戦争中の金属供出から免れたその内の一体だと思われる。他の像と比べ憂いを含んだ物悲しい少女の雰囲気が表れている。 この度、多くの方々のお力添えで、ここ安徳花壇の側に和宮様をお迎えすることができたのは非常に喜ばしい限りであります。 ![]() ![]() 『一ノ谷城跡案内板』より
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資料 |
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