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岩尾城跡
登城日:(2004.11.03)
所在地: 丹波市山南町和田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石垣がよく残っています。 天守台の石垣です。  岩尾城は、和田日向守齋頼が永正十三年(1516)に築城したと伝えられています。その子、作右衛門師季が跡を継ぎましたが、明智光秀の丹波攻略によって天正七年(1579)に落城しました。
 その後、天正十四年(1586)になって近江から佐野下総守栄有が入部して城郭を改修しました。
 しかし豊臣秀吉の命によって廃城となり、慶長元年(1596)に破却されました。
 城跡は、蛇山の山頂部から(1358メートル)を中心に広がり、主郭部は天守台を持ち石垣で固められています。北側の曲輪は、土塁や掘切によって中世的な要素を持ち、南側の石垣が残る近代的な遺構と併存して機能していたことが特徴的です。

◆下知殿丸曲輪
 この曲輪は、東・南・西の三方面のふもとから尾根があつまり、敵兵を防ぐのに重要な位置にあります。南北に約60メートル、東西に15メートルの長靴状の曲輪です。

『岩尾城跡案内板』より

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資料
 

私見
本丸裏手の高台、古城本丸跡から天守台を見下ろす  岩尾城跡へやってきました。目印は和田小学校です。車はその南側にある公民館の駐車場をお借りし、登城口へと歩いていきます。その登城口なんですが、和田小学校の中を突っ切って、裏手に出たところにあります。なので平日は通れないですね(^^;。まぁ親縁寺のほうからも来れるようですし、本来の大手だったみたいなのでそっちのほうがいいと思うんですけどね。
 さて、学校裏手すぐには案内板が設置されています。そこから山道に入っていくことになります。10分ほどで尾根筋に出ます。そこからは尾根伝いにまっすぐ行くだけですが、尾根上には大手門曲輪、南曲輪、下知殿丸曲輪が点在しています。削平地が残る中世城郭の姿をよく残していると言えます。そしてその先には大きな堀切や竪堀、堀井戸(まだ水が溜まっていました)などがあります。中世山城の遺構がほんとに色濃く残っているのには感激でした。
 が、驚きはさらにその先にありました。石垣がでてきました。もうこれでもかというくらいに。西の丸の石垣が特に綺麗に残っており写真の構図にしばらく悩んでたくらいです。(^^;
景色も最高です。  さらに虎口がありそこから二の丸へと南側をぐるりに回りこまされます。左手には本丸跡や天守台の石垣を見上げながら、です。巧妙に縄張りされた輪郭式の近世城郭じゃないですか!素晴らしすぎます。いやぁそれもそのはず、天正十四年の佐野氏が移ってきた際に改修していたんでした。
 丹波では非常に珍しい現存する近世山城の遺構が残る岩尾城はお奨めです。が、今はススキが伸びておりもひとつ石垣を美しく堪能できません。冬場に来られるのが一番いいと思いますよ。
 あと・・補足トリビアですが、この蛇山は実はマツタケ山なんです。でも入山禁止じゃないんです。ってことは自由にマツタケを取っていいんだそうですね!。山頂であったおじさんに聞きました。でもその時の私は城跡にすっかり満足しててマツタケどころじゃなかったですけどね。
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