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構の城跡 登城日:(2003.10.19) 所在地: 宍粟郡山崎町五十波 |
歴史 |
構の城(五十波構)は宇野下総入道祐頼により長水城の北側の防衛施設として築造された。
天正8年(1580)羽柴秀吉が長水城を攻めた際、長水城主宇野民部大輔祐清とその父宇野政頼がこの地に立てこもって戦ったとあるが、三日で攻め落とされ長水城に逃げ帰った。
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資料 |
私見 |
五十波集落南に位置する老人ホーム施設がたてられているところが構の城跡です。施設北側には小さな石碑が建てられていますので嬉しいです。ほぼかつての城跡の上に施設が建てられてしまっていますのであまり見るところがないのですが、それでも北側には田圃との間にある幅5メートルほどの平坦な場所が堀跡だとされています。まぁこんなところで羽柴軍を迎え撃とうなんて何を考えてたんでしょうかねぇ。私からすれば三日もよくもったな、とさえ思えるのですが。
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