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感状山城跡 登城日:(2003.04.06) 所在地: 相生市矢野町瓜生 |
歴史 |
感状山城は瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられています。
その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武三年(1336)には、新田義貞軍の進攻に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐がこの城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ感状山城と呼ばれるようになったと伝えられています。 城郭の構成は連郭式・階郭式の縄張で、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。 『感状山城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
羅漢の里で有名な瓜生から登城するのですが、車なら手前の第一駐車場か、その先の水車があるスペースに置くといいでしょう。 登城口から約550メートルということなので「たいしたことないな」と思ったのは直前に寄った白旗城で『2.2キロ』の表示を見て断念したのが大きかったのかもしれません。 じぐざぐの階段で整備された登城道をしばらく歩いていたのですが、500メートルほど登ってからは急に道の様相がかわりました。傾斜が急になり、いたるところに岩がごろごろ転がっており、かつての豊富な石垣を使った姿を想像させてくれますね。 そしてようやく物見岩に到着し、周りを一望できる岩の上に腰かけしばしの休息。が、おもむろに背後に視線をやった瞬間衝撃が走りました。これみよがしとばかりに見事な石垣が尾根を利用して山頂に展開しているのです。それこそが感状山城が誇る南曲輪群でした。六つの削平地に全長21メートル、高さ4.5メートルもの野面積みの石垣が緩い曲線を描いているのが飛び込んできました。これはもう休んでいられません。早速さらに奥を目指します。倉庫跡からV曲輪群を抜け、南曲輪群へ。もうあたりは惜しげもなく石垣が散りばめられたとでも言うべきか、総石垣つくりを思わせてくれる状態です。 それが一番顕著に見えるのが大手門跡です。物見岩手前から右へコースを分かれ、狭い山道を進んでいくと視界一面に広がった石垣が迎えてくれている大手門跡にたどりつきます。よくまぁこれだけ石を集めたものだと感心させられることしきりです。 私はそのまま休むことなく一気に山頂301.5メートルのT曲輪までいったのですがここは今までと違い平坦な地形となっているだけであまり石が姿を見せていませんでした。発掘調査により礎石が見つかっていることからここには本丸御殿があったのではないかと推測されているようですね。長い山道と見事なまでの総石垣で堅固に守られた往時の感状山城はどれだけ立派なものだったんでしょうね。この日は天気もよく最高の城めぐ日よりでした。
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