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小松原城跡
登城日:(2002.02.11)
所在地: 高砂市小松原、大三社神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
環濠集落のなかにあった小松原城跡 一.地勢
 播磨国に流れる大河、加古川三角州の頂点に位置する、周りを水に囲まれた天然の要害の土地である。
 古代より開発された土地で、貝塚あり、銅鏡、弥生式土器・須恵器・土師などの出土はその証左である。
一.築城
 鎌倉時代中期、赤松盛忠は弘長元年(1261)六月、北条重時に仕い武功によって播州印南郡小松原の地を与えられ、これより姓を小松原盛忠と改め築城する。
 中世の城は環濠城郭集落である。今日なお外には環濠の跡、内にはT字路、要(かなめ)に社等の配置を見ることができる。
一.城主
 赤松家は六十二代村上天皇の第七皇子具平親王を祖とする播磨国の名門である。小松原城歴代の城主は、次の通りである。

初代、小松原盛忠−二代、義景−三代、景満−四代、永春−五代、春武−六代、武香

 二百余年にわたり赤松一門は、加古・印南両郡内各地に主長として君臨している。
 初代盛忠公の墓碑多重塔及び一族の五輪等は、大福寺、どろま地蔵堂に多数現存している。
一.結び
 小松原盛忠公は、城主のみならず、高砂市における中世の武将であり、政治、経済、文化の偉大な貢献者である。城址の碑建立に際し、祖先の足跡を偲び顕彰する次第である。

『小松原城跡案内板』より

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資料
 

私見
環濠集落  国道250号線で加古川市を越え、「中島」の信号を左折し、新幹線の高架下の奥側の信号を左折し、1つめの信号を右折すると左側に鬱蒼とした木々がコンビニや家の屋根の上に見ることができます。小松原城は三社大神社の境内を中心としたあたりがその跡となっています。同神社内につくられた案内板によるとこの辺一帯は環濠集落として城のまわりには水路がはりめぐらされていたようです。現在の地図と当時の様子を照らし合わせてみると、かつての水路がそのまま路地として埋め立てられていたり、あるはかつての面影を残しているのかなと感じさせるところもあったりと、意外と往時の趣を感じさせてくれる城跡です。
 ここに城を築いた小松原氏は小松原城を築城後、加古・印南郡へと勢力を拡張させていったようです。加古川市内の城にもその名残りを残すものがあることでもそのことがよくわかりました。
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