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高山城跡
登城日:(2003.04.06)
所在地: 佐用郡佐用町横坂
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
掘切が美しい鐘搗堂  高山は沖田平野の北端にあり、横坂遺跡、本位田遺跡、佐用郡比売の杜、大撫山、長尾遺跡、円応寺遺跡等々が一望できる。
 尾根伝い北東四キロに奈良時代の創始という高伏山長谷寺があり、高山はその参道の入り口として鐘搗堂があったと伝えられる。
 又、建久年間(約八百年前)に佐用荘地頭となった山田則景は隠居後ここに高山城を築いて住み、末子家範が生まれ、それがのち佐用荘南端の赤松に移り住み赤松姓を名乗った。
 ここは赤松氏発祥の地と言われ、城跡は今も「千畳敷」と呼ばれている。
山頂近くで石垣が見れます ◆鐘搗堂(かねつきどう)
 奈良時代、僧行基が諸国修行の途次、この地に来て尾根伝い北東四キロ、奥金近の高伏山に草庵を営んだと伝えられ、これが長谷寺の始まりで、最盛期には七堂伽藍が建ち並び、その参道の入り口としてここに鐘搗堂があったと言われる
 今も地元の人々は「鐘搗堂」と愛称し、佐用平野が一望できる景勝地で、春の節句には、花見客が集まり、弁当を開いて眺望を楽しんでいる。
 又、戦前までは、子供らの雨乞いの場ともなっていた。

『高山城跡案内板』より

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資料
 

私見
本丸付近。何段かの削平地になっています。  中国自動車道「佐用」インターを降り、信号を右折し373号線に合流。そのまま南下し、中国自動車道をくぐってすぐを左折します。すると『高山城跡』への案内があり、それに従い左折して中国自動車道をくぐると、「高山城ふれあいの里」駐車場に到着です。
 そこから歩いて登っていくことになりますが、かなり木を伐採してくださっていて整備されていることに驚かされます。軽く10分ほど登っていくと最初の削平地に出くわします。2本の掘切に阻まれた先の削平地が「鐘搗堂」と呼ばれ、周囲の眺望を楽しむことができるポイントになっています。そこだけが飛び出したような出っ張った地形になっていて物見台としてはこれ以上ないような状態ですね。
 そこから向きを逆にして尾根づたいに緩い傾斜を登っていきます。ここもほとんどの木を伐採してくださっていて歩きやすい状態になっています。何段かに分かれているような感じでしたがはっきり覚えてません(笑)。本丸近くになると左に広がって展開されていることに気づきます。そして石垣も残っています。高さ約1m弱でしょうか、一部だけに残る石垣が妙に嬉しいですね。
 本丸跡に建てられた案内板を読んで「赤松氏発祥の地」であることにびっくりですが、八百年前の元地頭が隠居後に築いた城ってのにしてはやけに立派だなぁと思ったんですが、天正五年に尼子勝久がここを利用したようですね。
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