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久々知城跡
登城日:(2004.11.12)
所在地: 尼崎市久々知1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
久々知須佐男神社です。  いつの頃に誰が築城したものなのか一切不明。

◆久々知須佐男神社
 当社は、妙見、牛頭天王ほかを主神とする神仏習合の社でした。明治初年の神仏分離政策によr、妙見祠のみ転出し、須佐男神社と改称しました。同社は平安時代の天徳元年(957)、摂津一帯に勢力を持っていた源氏の棟梁、多田満仲の勧請により建立されたと伝えられています。
 妙見とは、北斗妙見菩薩を指し、北辰星(北極星)を中心に北斗七星を神格として祭ったものです。これは大阪府下の能勢妙見宮を川西に本拠する多田満仲がとくに崇敬したため、その配下の武将も同じ妙見信仰を持つようになったと考えられています。当社の境内にある満仲ゆかりの「矢文石」も、強肩の人物であった満仲の鏑矢伝説と結びついたものです。江戸時代に刊行された「摂津名所図会」にも描かれている風影は現在も地元の人々によって大切に保たれているところです。
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資料
 

私見
 JR「塚口」駅を東に降り、南へと伸びる長い下りスロープを進み東へ10分ほどいったところに川が流れています。川を越えてすぐを右折し、5分ほどいくと近松公園、そして城跡であるらしい久々知須佐男神社があります。久々知城自体まだよくわかっていないので(^^;なんとも言いにくいのですが、比高もあるわけでなし、何かあったとしても館程度のものじゃないのかな、と思います。
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