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国包構居跡
登城日:(2002.02.11→2007.01.14)
所在地: 加古川市上荘町国包、常観禅寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
国包構居跡である常観禅寺  領主は加古源右衛門右京美宗であり、別所氏の家臣であった。

◆石憧
 この石憧は、凝灰岩(竜山石)製で、無銘のため造立年代ははっきりしませんが、室町時代後期に造られたものと思われます。
 中世近世にわたって六地蔵信仰が流行したのでこの石憧も六地蔵が彫られています。
石憧の大きさ
憧身高さ四八センチ
  径ニ五xニニセンチ

『常観禅寺内案内板』より

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資料
 

私見
国包構居跡である常観禅寺  三木鉄道「国包」駅とJR加古川線「厄神」駅の間、踏みきりがない(いいのか、これで>関係者の方^^;)細くて車幅ぎりぎりの道路を通り、一番奥まったところにある常観禅寺が国包構居跡の案内板がたてられている場所です。
 お寺の周りぐるりと数十センチほど低くなって段差ができており、お寺まわりだけがうかびあがった感じになっています。それだけでなんとなく説得力を感じてしまう単純な私(笑)なのですが、どうやらここがかつて構居跡だったかどうかは怪しいみたいです。
 ただ・・だからといって木製の標柱が根元で折れてしまって放ったらかしになってるのは悲しいです。あれがあるのとないのとでは全然違うので、早急に加古川市の対応をお願いしたいです。
国包構居跡であってほしい堀跡  久々にやってきたらあの標柱がどこかにいってしまっていました。すでに史跡として認められなくなったのか、それとも心無い標柱マニアが持っていってしまったのか・・。ぼろすぎてゴミ扱いされたのかもしれませんが、なんとも残念です。
 5年ぶりに改めてくると堀跡がくっきりと残っているのが分かりました。途中折れもあり、なかなか見ごたえがあるのですが、是非とも城跡であって欲しいものです(笑)。
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