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栗山氏館跡
登城日:(2003.10.25)
所在地: 尼崎市栗山市2丁目、生島神社
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
栗山氏館跡とされる生島神社 ◆生島社
 立花地区の上ノ島・栗山・大西・三反田の各町は、昔は生島と呼ばれていた所です。この地は、天長七年(830)に朝廷の財力によって開発され、平安時代の終りごろ、康治元年(1142)に開発領主源実国の子孫が、時の関白藤原忠通に寄進した「生島庄」に当ります。同じころ、僧澄海が大般若経を「生島大明神」に献じたとあり、生島社の文献上初見といえます。
 平安時代の神社を知る「延喜式神名帳」には、大阪市天王寺区にある生島魂社は「生島巫祭神二座・・・生島神・足島神」を祭っています。生島神社はこの大阪生国魂社の元宮の伝承があり、生島庄の鎮守としてこの二神を祭る共に、摂関家の氏神である春日神社の諸神を祭ったものと思われます。同庄の中心は、生島村と呼ばれていた三反田町から次第に開発が北部に延びるにつれて、大西・栗山両町へ移り、この栗山の地に現在の生島弁財天が遷宮されたものでしょう。桃山時代の慶長五年には池田輝政・福島政則禁制が「いく島」に出され(現在栗山の旧家に保存)、同十九年に出された松平利隆禁制と共に村切り(4村分割)前の生島庄の中心がここ栗山に移ったことと関係深いものです。

『生島神社案内板』より

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資料
 

私見
栗山氏館跡とされる生島神社  栗山氏館は、山幹通りと七松線とが交差するところから七松線を北へ50メートルほど歩きます。そこに生島神社を示す標識が出ていますので右折します。すると左手に生島神社があります。ここに中世生島庄の豪族、栗山氏が居館を構えていたそうです。
 周囲は環濠だったそうですがそう言われるとそういう気がしないですが、ごく普通の神社ですねぇ。
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