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丸山城跡


登城日:(2005.08.27)
所在地: 西宮市山口町下山口
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
主郭脇におかれた城址碑 丸山城遠景  当社が鎮座する丸山(標高275メートル)は、生瀬口より東久保を経て湯山(有馬)と丹波道に至る分岐点の要害の地に在り、中世室町時代、多田源氏の一族山口五郎左衛門時角が城を構え、その鎮守として祀られたのがはじめと言われている。
 戦国争乱による山口氏の没落後祭祀は絶えていた。当社に祈願したところ、たちまち病がなおり、これを聞いた人々の参拝が多く、篤信の者が社殿を再建した。(当社社記)

 天保十一年(1840)六月、下山口村有志によって、伏見稲荷大明神の御分霊を勧請して奉祀した。
 この時、敬神講がつくられ、のち御膳所、参籠舎、休息所などの付属建物が完成し、ついで大正九年に拝殿を改築した。(山口村誌)

『丸山稲荷神社案内板』より

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資料
 

私見
東側の切岸跡 西側の帯曲輪跡  丸山城は金仙寺湖北西にある丸い山の頂上部にありました。現在は丸山稲荷神社が建てられていますが、その参道が南側から作られています。登城道は北側からもあるようですが、私は鳥居をくぐりながら歩いていきました。駐車スペースはないようですので要注意です。参道は整備されているので夏場でも安心して山頂まであがれるのが嬉しいです。
 城域は神社を中心とした山頂部です。社が建つ主郭を中心に東側には緩やかな段差が伸びていますがここが切岸だったのですね。一方でしっかりと手が入っているのが西側の斜面で、帯曲輪状の郭が幾重にもつくられています。土塁もあるようですが、かなり崩れてしまっているようですね。神社建設の際にかなり破壊されていると思うのですがそれを差し引いてもかなり残っているほうじゃないでしょうか。
 帰りの金仙寺湖の景色がとても美しかったのが一番印象的でした。
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