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摩耶山城跡登城日:(2012.08.04) 所在地: 神戸市灘区摩耶山町 |
歴史 |
摩耶山城は、大塔宮護良親王の令旨を受けた赤松円心則村が、播磨白旗山を出て、元弘三年(1333)に摂津に入って築いた城である。これに対し六波羅軍は、摩耶山城攻めのため約五千騎が麓に着陣するも、山岳戦に持ち込まれた結果、円心軍の勝利に終わり、そのまま京に向けて進軍したとされている。 『ひょうごの城紀行(下)』神戸新聞総合出版センター刊参照
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資料 |
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私見 |
摩耶山城へは、摩耶ケーブルを使ってあがるか、歩いて上野道を登るかを選択することができます。旅感を味わうにはケーブルですね。目的が山城だというのに、なぜかワクワクしながら急な斜面の景色を楽しんでしまいました。 しかし、歩いて登っていると五鬼城山や上野道の途中のあちこちにあきらかな人工の削平地がいくつも残されており、摩耶山城との関連性を想像させてくれる遺構が見られるんだとか(「城」174号、関西城郭研究会刊参照)。とっても惹かれるのですが、とりあえず摩耶山城のみに注目することとします。 ケーブルを降りると、すでにそこが城内となっています。城は東西二つのピークに分かれており、ケーブルのある駅は東側の郭です。かなり改変があるのでわかりづらいです。しかしそのまま遊歩道を進んでいきますと、東側郭の最上段にでます。藪ってますので、気合を入れて足を踏み込みましたが、これまたよく分からない状態です。気を取り直してさらに西へと歩みを進めます。すると少し開けたところに出ますが、ちょうど鞍部となっており東西の郭を分ける堀切があったのでしょうか。四丁石の石碑が設置されてあります。 こんどはそこから西は西の郭部分となります。やや急な斜面を登ってみると自然地形に近い状態が多いのですが、削平があります。そして西側斜面には2つの大きな竪堀も見られます。これを見て少し安心できましたよ。そして、「城」174号の縄張り図を元にさらに南にある出丸跡も確認してみます。細い痩せ尾根を歩きながら時折頬を撫でる風が心地良いです。8月の暑い中に行く場所じゃないですよね。でも標高500メートルがわずかにマシだったのかもしれません。そしてようやくそれらしい場所に出ました。南方の景色が一望できるビュースポットといった感じです。 全体としては遺構の残りが寂しいですので、上級者向けのお城かもしれませんが、季節を選べば下から歩いてあがっていく中で見られる「城砦群」にワクワクするも良し、天上寺跡やロープウェイを使ってさらに散策範囲を広げてみるのもいいと思います。そういえば忘れていました。今残っている遺構だと、南北朝期というよりも下って戦国期のそれなんですよね。改変があったということは使われたことがあったのでしょうけれど、まだよく分かっていないようです。とっても中途半端で消化不良な状態ですが、興味がある方はどうぞ。一応夏場でも可、ということは言えますよ。
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