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三草藩陣屋跡 登城日:(2001.02.12) 所在地: 加東郡社町上三草1157 |
歴史 |
江戸時代の寛保二年(1742)、丹羽薫氏は播磨国加東・多可郡と美嚢郡内で禄高一万石の三草藩を成立させ、この地に陣屋を構えました。 尾崎家では藩の大目付であった三十石取りの藩士・尾崎弥一郎の後裔です。受託は、一部に拡幅が見られるほかは改変が少なく、正面の式台まわりなどに昔の武家屋敷の面影が良く残っています。また、屋敷門、土塀、納屋井戸端などからも江戸時代終わりごろの武家生活が偲ばれます。 この地は赤穂藩領であったが浅野家断絶により、寛保二年(1742)大阪定番として、美作・河内を領していた丹羽薫氏侯が三草藩主として一万石を領し、陣屋を築き、廃藩置県の明治四年まで六代百三十年にわたり、藩政を行った由緒ある地である。 また、代々三草藩臣であった村上家(社町木梨)の代三郎は緒方洪庵の適塾の塾頭をつとめ、幕府講武所でも明治維新の人材育成にあたり、有名である。
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資料 |
私見 |
三草藩陣屋の跡地は現在「やしろ国際学習塾」がたっています。何の建物かはよく知りませんがその駐車場に車を止めさせてもらい(笑)、陣屋跡を散策します。 学習塾の裏手には武家屋敷が三軒あり、そのうちの一軒が一般公開をしています。無料で江戸時代の生活ぶりが感じられるのはなかなか良心的ですね。 一方陣屋跡のほうは一切残っていません。学習塾の玄関前に石碑があるだけでした。
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