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水尾城跡
登城日:(2005.02.17)
所在地: 西脇市水尾町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
北郭への通路脇にある列石遺構  この地は古代から播丹国境、託?("加"の下に"大")、?("加"の下に"大")毛の郡境であったと伝えられ、交通の要所であった。この城の築造されたころ、このあたりがどのような情勢であったかを確かめる資料を欠くが、荘園支配者や土豪の拠点、監視所としてこの地点は最適の場所であったと考えられる。城跡は城山と呼ばれる標高250メートルの山頂に築かれている。一辺18メートルの正方形の主郭(本丸)を中心に北側へ4ヶ所、南側へ3ヶ所、西側へ1ヶ所の郭が連なる連郭式と呼ばれる構造である。築造時期は室町時代と推定できる。
 中世の山城は非常時の「詰めの城」で小屋程度の施設があったにすぎず、日常生活は平地の館で行うのが普通であったと考えられる。水尾城は西脇地方では残りのよい城跡である。

『水尾城跡案内板』より

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資料
 

私見
主郭部分です。  水尾城跡は遠めにもそれとわかる特徴的な山上にあります。というのは以前に発掘調査が行われ、城域はそのまま禿山状態で放置されているのです。むき出しの地形がそのまま連郭の削平を表わしていますので丸裸です。
 宇仁山城から宇仁山砦へと向かう途中に見ていた水尾城は「もうそこまで歩けない・・」と諦めたのですが、実は反対側麓にある大日寺から登っていけるのです。同寺前にある案内板を見ながら、墓地の中を通り、そのまま藪の中に踏み込みます。
主郭脇にある北出郭  比較的登りやすく、草もほとんどない尾根上を上っていきます。途中竪堀かと思うような溝もあるのですが、まだ城域ではないようです。南側が見渡せるところまで出ると、今度は東へと向きを変えます。少し藪になっていますが、虎口となっており周囲には列石遺構が見えています。と言っても私も縄張り図がなければその存在には気づかなかったかもしれませんが・・それくらい微妙な状態です。そしてようやく郭上に到着です。北2郭とされるところで急に見晴らしがよくなりました。目の前には岩山が聳えています。通路は北側にまわっていくのですがそれでもかなり慎重にならないと大怪我しそうです。
 城跡は主郭を中心に、東に2つの郭、南側にも出郭とその外に帯郭のような郭が一段ありますが南側を回る通路のようです。そして北側には出郭とその下に2段の郭があります。三方に広がるような見事な縄張りなのですが現状では寒風吹きすさぶ岩山です。登城中、悪役と戦うヒーロー戦隊ものを思い出してしまうほどの寂しい岩山です(笑)。
 でもこの状態、いつまで放っておかれるんでしょうねぇ。
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