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基山城跡
登城日:(2004.01.12)
所在地: 揖保郡御津町黒崎
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
竹林の斜面に石垣や掘跡などが  基山城は、元弘年間(1331〜34)揖西町の土師城にいた萩原孫三郎光則(赤松円心の弟)がここに移って居城したといわれている。標高63メートルの頂上部東よりには前方後円墳輿塚がある。

『基山城跡案内板』より

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資料
 

私見
削平地がありました。  新舞子のすぐ裏手にある小高い山に登ってみました。この山の登り口は南側にあることがあとで知ったのですが、私は北側の竹林の中を無理やり登っていきました。というのもこの竹林は腰曲輪のようにも見える削平地や土橋状になった地形、空掘跡、さらに数十センチの高さの石垣がところどころ見えているのです。中世城館調査報告書にはこの裏手の状態について記述がありませんが、私には城跡の一部であると見えます。  で、何段かに分かれた削平地をあがっていくと、ようやく登り口に合流するようになりました。その先は背の低い土塁(少し丸い石が見え隠れしていましたが)で囲まれた削平地があります。  どこまでが城域なのかわからないまま進んでいきますと、頂上部の開けたところに出てしまい、そこに前方後円墳がありました。そこではじめてあぁここが基山城だったか(笑)と確認できたわけです。どうもしっくりこないので付近の城跡とセットにして再度挑戦してみようとおもっています。
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