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馬渡谷城

馬渡谷城跡


登城日:(2004.12.20)
所在地: 加西市馬渡谷町字城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
主郭跡。なんとか地面と地形が確認できます。  馬渡谷城は、内藤左衛門佐盛勝が康永元年(1342)に築城した。内藤氏は常陸国の住人であったが、足利尊氏に従い功をあげているうちにやがて馬渡谷を賜り、この地に移りすむようになったとされている。
 在田氏の被官人として行動していた内藤氏は、盛勝の後に俊次、左京進盛次と続き、三代目盛次の時の文明四年(1472)に満久城を築き、そちらに移った。
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資料
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私見
馬渡谷城跡より西を望む。 馬渡谷城跡全景  馬渡谷城跡があるこのあたりは多可荘と言われ、今でも周囲に多くの城跡が残っている地域です。標高170メートル、比高90メートルの城山は少し前は地元の子供の遊び場所となっており、自由に登っていたそうです。また、共同アンテナが立てられたこともあり当時は登り易い道があったのでしょうね。やがてそのアンテナも台風で折れ、取り除かれてからは誰も登らなくなった、とは地元のお年寄りの話です。
 比高こそたいしたことありませんが、登城道がなくなっているのはきついですね。西側から取り付くことができるのですが、すぐにシダが密生するところに出てしまい、そこから先はかなり勇気が要ります。膝よりも高いシダの中を踏み越えていくのですが時折地形が凸凹しており、こけそうになります。上から下へと伸びるこの地形こそが、中世城館調査報告書にある「竪堀」なんでしょうか。地面が見えないのでよくわかりません。
 が、なんとか足元が見えるようになった時はほぼ頂上に出てしまっていました。主郭がある頂上を中心に北、南、東とそれぞれ段があり、小さいながらもいくつかの曲輪跡がみられます。ここからは加西市北部の山々が遠くまで望め、満久城もすぐ目の前です。
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