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那波浦城跡 登城日:(2003.12.21) 所在地: 相生市那波南本町 |
歴史 |
那波浦城は、「播磨鑑」によれば城主は宇野弥三郎重氏で赤松氏の一族であったようである。建武三年(1336)和田範長・児島高徳の敗残の一行、今木・大宮・松崎など27騎が那波浦を通って東へ落ち延びていくところを、重氏がこれらに追いつき自決せしめたとある。 赤松稗史のよれば、貞和の頃(1345〜50)赤松上総介義則が築城したが、後に義則の女婿兵部大輔長門頭田中館智通則の居城となった。その後天正七年(1579)に羽柴秀吉に攻められ落城し、城主越智為親は自決した。 『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照
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資料 |
私見 |
那波浦城は、東にある大島山城が一望できる位置にあるのですが現在は那波中学校が建てられてしまっています。他にテニスコートが整備されてしまい、往時の雰囲気は感じようがないといった状態です。無理に遺構ではないか、と思われるようなところもないことはないのですが、どうも微妙ですねぇ。
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