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長砂構居跡 登城日:(2001.12.31) 所在地: 加古川市野口町長砂、長砂八幡宮 |
歴史 |
播磨鑑(宝暦十二年)に 長 三十間 横十九間 二の丸 長 三二間 横二十間 加古庄 在長砂村 村の継子の方 領主は生地市助、天正の頃、別所長治の幕下。秀吉に亡さる 一本越生市右衛門と有。 とあり、播州古城記には 長砂構居、本丸、長さ二〇間 横 十九間 二の丸、長さニニ間 横 二〇間半 加古庄 長砂村 領主は越生市右衛門尉 別所長治の幕下也 天正年中秀吉に亡され、また生地市助之も長治の幕下、天正頃也。 と記録されている。 『長砂構居跡案内板』より
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資料 |
私見 |
加古川市内の構居跡をめぐってみました。ほとんどが別所方であり、天正の秀吉軍による播磨攻めにより滅ぼされています。この長砂構居もまた同様のようですね。 現在の状態は長砂八幡宮となっており、まわりよりも1m余りの高所につくられています。神社といっても鳥居と小さなお堂がある程度で、無理やり構居跡を残してくれているといった印象をうけました。この長砂構居に限らず、加古川市は史跡をよく調べてあり、丁寧に碑を作ってくれているので他に類を見ないほどの数を見てまわることができます。
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