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内藤氏屋敷跡
登城日:(2004.11.20)
所在地: 加西市満久町460
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
年季の入った屋敷跡です。  満久城の南麓に城主屋敷が建てられたのはいつのころかは不明である。そもそも内藤氏は関東の住人であり、多可荘(加西市北部、西脇など)にやってきた後は在田氏に属するようになる。やがて馬渡谷城に在城し、そして文明元年(1469)に満久城を居城したとされている。

 この庭園は、江戸時代中期に作られた池泉観賞式の庭園です。面積は約287uあり、東から南にかけて、土盛りをして築山とし、瓢箪型の池を掘って滝を作り、出島を作って石橋をかけ、東からは石段で築山へ登れる構成となっています。
 観賞は母屋座敷からが中心で、離れ座敷前の縁先の手水鉢などの石組みとは趣を異にします。滝の石組みは、切り込みのある水落石を使いその下は洞窟式になっていて、そこから水を落としていたと思われます。瓢箪池も工夫されて美しく、風情のある庭です。

『現地案内板』他より

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資料
 

私見
石垣だけじゃなくほんとは庭がメインなのでしょうが・・  満久城の南側に城主屋敷跡があり、現在も子孫の方がお住まいになっているということを知ったのは、城めぐをご覧くださった内藤氏に縁のある方からの一通のお便りからでした。
 満久城自体すっかり忘れていましたが改めて訪城したいと思いますが、すぐに屋敷跡を見に行くことにしました。県道を1つ入ったところにあるその屋敷はかなり古く、土塀や石垣が趣のある状態で残っています。あまりにも風化にまかせたままとなっているようでこれ以上の崩壊だけはなんとか防ぎたいものです。
 建物の南側には勾配を感じられる石垣がその存在感を主張していますが、実はこの建物、市の文化財に指定されていたんですね。江戸中期とされる池泉観賞式(ちせんかんしょうしき)の庭園だそうですが、かなり手入れされてから日時が経っているようです。(^^;。
 実際に子孫の方がお住まいだということで庭園の撮影の許可をいただこうと玄関チャイムを鳴らしてみましたが残念ながらお留守でした。文化財とされているってことで、外からの撮影は勝手にやってもいいのかなと思い、アップしてみました。
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