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太田城跡
登城日:(2004.08.29)
所在地: 揖保郡太子町山田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石垣跡も残っています 主郭南側の削平地。巨岩の役割は何?  太田城は、建武年間(1334〜38)に赤松範資の子則弘が築城したのがはじまりとされている(『播磨鑑』)。やがてその子広岡彦二泰秀が継いだが、加東郡東条の城に移っていく。そして嘉吉の変の際に落城したとされているが詳細は不明である。
 その後は赤松伊豆守貞村が居城し、以後一族が5代続いた。天正年間に、羽柴秀吉に攻められ落城した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
テレビ塔が建つ主郭跡  太田城跡は、楯岩城と同意で扱われていることもあるようですが、私はこれらを明確にわけて扱おうと思っています。(とは言え、両者の境界がわかってないんですが・・)
 老人ホームの正門前のスペースに駐車すると前回同様チェーンの張られた坂道をあがっていきます。すると前回にはなかった道が山の中につくられていました。途中、平坦な地形が二段ほどありましたがはたして城跡の遺構なのかどうか・・。
 主郭とされている山頂部にはテレビ塔が建てられており、削平地を占めています。真新しい登城道は北東からのぼっていくことになりましたが、テレビ塔の東側にあたるところには段差があり、下に帯郭があるようです。また斜面には石垣が崩れたような状態の岩が存在しています。
 全体的には巨大な岩がごろごろしていてどうも城跡の姿をイメージしにくいです。無理やり道を切り開いたような整備がされているからでしょうか。素直に現状を遺構として見ることができなくなっています。草がなくなった季節にもう一度じっくり来たほうがいいのかもしれません。意外と結構遺構が残ってそうな気もします。
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